Vol.11:二か月間の青春でございました

大変ご無沙汰しております、えっとね…今確認して見たら最終更新が7月14日になっていましたよ。
今回のアップまで二か月間とちょい。僕は35年越しの青春を謳歌しておりました(笑)。

どこから話そうかな?
まず僕はもう50をとうに越えたオッサンなのですが、かれこれ40年ほど前、僕が中学校2年生の春に、後々の僕の人生に大きな陰を落とすこととなる持病が発症しました。
元気よく部活の朝練に出ていたはずなのに、気がつけば大村市民病院のベッドの上で目を覚ましたのです。何が何だか分かりませんでしたね、初めての発作だったので本当に何が何だか状態でしたよ。
6時間も寝ていた?意識を失っていた?そうです。お医者さまに診ていただき、診断の結果は「てんかん」であると。初めて聞いた病名で、何だか緊張感のない病名だなぁと思ったのを記憶しています。
それから現在に至るまで、まだ投薬を受け治療継続中ではあるのですが、今年の春に、最後の発作から確か2年を迎えるなぁと思い出し、長崎医療センターの主治医に「先生、そろそろ免許とりに行っても大丈夫ですかね?」と切り出してみたのです。主治医はすぐにカルテを遡って確認して下さり、確かに6月で2年になりますね…大丈夫でしょう、診断書出しますよと快諾下さったので、先に段取りを自動車学校に行って確認してきますと、すぐに愚息が以前お世話になった川棚自動車学校さんに行ったんですよ。

こちらの事情を説明し、まずは診断書を持って大村警察署の交通課に行って下さいと教えていただき、説明いただいた手順通りに、主治医の診断書を携えて大村市にある運転免許試験場へと行ってきました。厳重な聞き取りをしていただき、僕も煮え湯を飲まされるのはもう勘弁という気持ちで行っていたので、聞かれたことに全て正直に話し、審査を経て許可をいただき書類が届いたのが6月の半ばごろだったと記憶します。忙しい時期でしたが、ちょうど入っていた現場が7月のアタマには完工しお引渡し出来たもので、確か7月10日だったかな?とりあえず書類を川棚自動車学校さんに持って入学手続きを済ませ、僕は生まれて初めての自動車免許取得に向けてスタートを切りました。

初日からいきなり授業を受けてみて、久しぶりに聞く学校のチャイムに心ウキウキですよ(笑)。次の日から1週間ほど大阪に行く用事があったので、続きは大村に帰ってからになるワケですが、まあ遂にですよ遂に、35年待った自動車運転免許取得へのプロセスが始まったことに、心躍るような気持ちと、やはりそれなりに年月を経て年齢を重ねていますからね、これまでの闘病とか周囲への感謝とかそういった感慨深い想いが溢れてくるもんです。しみじみはまあ置いておいて、よっし!オッサンやけど普通MT取得頑張るぞ!と…まあ、若い頃は「男はマニュアルだろ」みたいに考えていたのですが、さすがに今はそんな若いことは考えていませんで、単に仕事で使用する軽トラがマニュアル車なもので、それ運転出来んといかんなと。普通に自家用車運転するだけなら、もうオートマ限定で充分なんですけどね。

ということで、ここから約二か月間の自動車学校生活がスタートです。今回は別に、オジサンが初めて免許とるとどうなるか?をお笑い形式でレポートしたいワケではありませんので、簡単に結論を言っちゃいますと、9月18日に晴れて本免の学科試験に合格し、その日のうちに自動車免許証を生まれて初めて手にすることが出来ました。あんまりこのことを真面目に話すと、ちょっと辛気臭い話になりますので、何かこれまでの闘病生活に対する想いやら、今まで僕を車に乗せて運転して下さった方々への感謝やら、そういう心温まる話は全然笑えないのでここでは割愛します(笑)。まあとりあえず、自動車免許ってやっぱり若い内に取得しておく方が断然有利だと痛感しましたよ。

まず、大村市は先ほども述べましたように、運転免許試験場がある町でして、試験場で直接試験を受けることが可能なので、昔から自動車教習所はたくさんあるんですが、自動車学校はおそらく一件もないんですよ。大体僕らの若い頃は、今もそうだと思いますが、大村市の若者は教習所で練習して試験場で試験を受けるという流れで免許取得なんだと思います。僕も入学してから知ったのですが、自動車学校は学校が保有するコースで仮免許の検定を行い、路上に出て本免の検定を済ませることが出来るので、卒業検定と言われる(自動車学校で多少の違いはあるのかもしれません)路上試験に合格すると、最後に本免の学科試験を受ける力があるか否かを試す試験を受けさせられ、それを合格すると卒業となり、卒業証書?を持って運転免許試験場に行き本免の学科試験を受けることになります。自分が学科教習と技能教習と言うのかな?を所定の学校で受け、その学校で検定試験を受け合格しましたよという証明書が卒業証書になるのかな、多分。なので試験場での実技試験は免除され学科試験だけを受けることになるワケですね。

入学したての頃は教官の皆さんに「初めての免許ですか?」と「大村なのに何で自動車学校に?」の二点を珍しそうに聞かれましたよ。ああなるほど、大村の人は教習所行って試験場だもんなと質問の意図を理解し、あまりそういう細かい仕組みを知らないまま自動車学校に入学しましたし、正直に「愚息がお世話になったもので、何かのご縁かなと思い」と、僕が川棚自動車学校さんにお世話になることにした経緯を答えましたが、今となっては川棚自動車学校さんにお世話になって良かったなと感じています。まあとにかく最初から、「ただ免許とるためだけに教えているワケではありません」「車を正しく安全に運転してもらうために教えています」と、僕と年齢の近いY本先生やI藤先生が熱く語って下さるんですよ。いちいち納得させられる話だったと感心していますし、僕だけでなく愚息も川棚自動車学校さんに預けて良かったと思えました。

実は僕、質問魔でしてね(笑)。先生方、僕の年齢もあってめんどくさい生徒だったと思いますよ我ながら。学科試験の模試を何度も受けるのですが、その都度僕は問題に納得がいかなかったりしてですね、何が間違いなのか、何故間違いなのかを理屈で説明してもらわんと次の試験でまた同じ間違いをするのがイヤなので、「教本の通りに覚えて」という回答では引かなかったんですよ。そんな若い学生じゃないんだから、教本を暗記なんか出来ませんって。そんな僕の質問に、校長先生と教頭先生が対応下さって、正答率はギリギリながら(笑)、18通りある模試を合格率100%で本免学科に挑むことが出来ましたよ。実際に受けた本免の試験は模試よりも簡単に感じ、試験後に発表された得点も98点で合格という出来過ぎた内容でした。ぶっちゃけて言いますと、この歳になると実技よりも学科の方が面倒ですね。運転自体はオジサンだろうが若者だろうがおじいちゃんだろうがおばあちゃんだろうが道路を運転していらっしゃるワケで、慣れれば大して難しくはないんですけど、あの学科の問題がね…あれは慣れても難しい。なんと言いますか、言葉遊びみたいな側面があって、考えれば考えるほど深みにはまっていくといいますか(笑)。


8月に入ると、大学生が目に見えて増えたんですよ。夏休みの間に取得するのだとかで毎年繫忙期みたいです。暑いのにみんな大変だね…と、まあ僕はもう35年も待ってるから今更何か月か長くかかったところで大して変わらんし、大学生優先で構いませんよと言っていたのですが、なるだけ早く卒業させてあげようとしてくれているのはありがたかった。でね、もしも僕にあの日病気が発症していなかったら、僕も友人たちと一緒にこうやって運転免許を取りにワイワイ来ていたんだろうなぁと、若者たちを見て思うワケです。ああ、みんな青春してんなぁと。僕もね、何度も諦めかけたけども、ようやく青春ですよ(笑)。友人は誰もいないけども、なんと言いますか…止まっていた時間がようやく動き出したような、ずっと忘れていたものを取り返しに行くような、ただただ、全ての瞬間が楽しかった夏でした。送迎バスを待つ間の暑い日差しも、3速に入れる時にちょっと引っ掛かりがある27号車のマニュアルシフトも、慣れるまでワケ判らん問題に悩まされた仮免の模試も、間食で食べるじゃがりこも、授業や乗車が終わって帰る送迎バスから見る、キラキラ光る大村湾も、本当に全ての瞬間が楽しかった。

川棚自動車学校

川棚自動車学校

川棚自動車学校

川棚自動車学校の皆さん、本当にありがとうございました。無事に免許取得に至りましたが、僕の健康状態についてはそれほど自信があるワケではありませんので、極力運転は避けるようにします(笑)。長年悩まされた持病を一定克服出来た証として、父がまだ元気な間に免許証を見せてやることが出来て本当に良かったです。暑かったけど、忘れられない夏になりました。