Vol.8:長嶋茂雄さんご逝去

本来であれば、前回の続きとして後編なのか中編なのか、万博の体験談をと考えていたのですが、ちょっとバタバタが続いておりまして、そうこうしている内に今週は取り上げねばならない、プロ野球ファンとしては非常に優先順位の高い悲しい知らせが届きましたので、予定を変更してでも“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄さんのご訃報に接し、僕にとってのプロ野球とか長嶋茂雄さんについて思うところをダラダラと、悲しみと共に書こうかなと思った次第であります。

まず最初に、僕は1979年の日本シリーズで初めて「プロ野球」を知ってから今日まで、生粋の広島東洋カープファンであります。
めちゃ強い時も、弱い時も、めちゃ弱い時も、めちゃめちゃ弱い時も、忘れた頃に強い時もまた弱い時も、常にカープを愛し続けていますので、普通にごくごく普通に息をするようにアンチ東京読売ジャイアンツさんです。
無論、全てのカープファンがアンチ巨人さんとは思っていませんが、まあ巨人さんに限らずセ・リーグのカープ以外の5球団さんらは皆優勝を争う敵という認識は、全カープファン一致しているでしょう。中には「俺カープと巨人どっちも好きだからどっちが優勝してもいいんだよね」とかいうスタンスの方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうむずかしい方はここでは無視します。カープ以外は敵ですよ、敵。その敵の中でも最大の敵が巨人さん…実に昭和的な分かりやすいプロ野球観。

巨人かそれ以外かの世界だったプロ野球を、まだ子供にはチャンネル権のなかった時代、よぉワカランなんかむずかしそうな顔して白い球を投げ、それをむずかしそうな顔して木の棒で打ってっていうのを、親父さまがテレビでむずかしい顔して毎晩観ていた時代です。瓶のキリンビールと共に大人の世界を感じるひと時です。

僕は確か当時小学校に入ったばかりでしたが、子供の多い時代、しかも厳しい縦社会が子供のコミュニティにも確実に存在していた時代でしたので、町内の空き地で日々先輩たちに笑われ叱られながら野球ごっこに勤しみ、子供たちだけのローカルルールから覚えて少しづつ野球のルールみたいなもんを知り始めていた頃なワケですよ。そんな秋に親父さまがテレビで観ていた日本シリーズなる熱い戦い。親父さまがいつになく熱く観ているのがこちらにも伝わってきて、

「お父さん、あの赤い帽子は何ていうチーム?」

「うるさい、黙ってろ」

「お父さん、あの牛のマークの帽子は何ていうチーム?」

「うるさい、黙ってろ」

「お父さん、巨人は出てないの?」

「うるさい、あっち行け」

といった具合に、どこにでもいる仲良い親子の熱い熱い会話(笑)によく表れているように、いつもとは大きく緊張感の違う試合が目の前で進行しているのが子供にも判ったのです。また、子供にも判ったことのもう一つが、巨人さんが出ていない試合というコトでした。

今とは違い、テレビでは巨人戦しか放送されない時代でしたので、そこに違和感を覚えるのは当然と言えば当然です。そして伝説となった1979年日本シリーズ第7戦、いわゆる“江夏の21球”ですね、広島東洋カープが近鉄バッファローズを下して初の日本一になった試合です。

ぶっちゃけて言いますと、僕はここからプロ野球を見始めて、言わばプロ野球デビューが“江夏の21球”みたいなもんですから、まあ当然勝って大喜びをしていた赤い人たちが強いんだなぁと思うワケですよ。ただプロ野球のシステムも知りませんし、日本シリーズの意味もよく判っていないので、何でそんなに大喜びしているのかはよく判らないんです。そこで「日本シリーズ」という名前に“日本”なんておおげさにも国の名前がついているものですから、親父さまにたずねます

「お父さん、日本シリーズって日本で一番強いってこと?」

「そうさ、日本で一番強いのが広島さ」

「じゃあ二番が牛の人たち?」

「そうさ、近鉄が二番さ」

と言った感じの、今にして思えばアホな会話だなぁと思えるのですが、当時は目がキラキラですよ、だって目の前で日本で一番強いチームを観てるワケですから。

一番も二番も赤いなぁとか思ったように記憶していますが、まあいいでしょう、ヒーロー戦隊だって昔からセンターは赤ですし、当時ヒットした機動戦士ガンダムのめちゃ強い敵・シャア・アズナブルも赤いですし、なんならウルトラマンの挿し色も赤とかですし、まだまだ知能の知ぐらいしか持っていなかったであろう幼い和也少年には、赤いのは強い!と強烈なインパクトを与えるに十分だったのでしょうよ。

無論、この時にはまだ来年一番強いとこが赤かはワカランとか牛かはワカランとか、そういうシステム的な部分は全く知らず、ただただ「カープ最強!」という薄っぺらい情報が脳に刷り込まれ、そこから僕のカープ愛はスタートすることになるのです…まだ広島が地方の球団で収益が厳しいとか、ローカル球団の宿命で全国的にはファンがめっちゃ少ないとか、もっと言うと長崎県の人は巨人さんか、諫早市に工場があったヤクルトスワローズさんか、当時は西鉄さんから西武ライオンズさんになったのでライオンズさんのファンぐらいしかいなくて、その大多数は巨人さんのファンだとかそういう諸般の事情をよく知らないおこちゃまなワケでして、後に少しづつ現実を知らされることになるとは露知らず。

ちなみに親父さまが興奮ぎみに観ていたので、僕はてっきり親父さまはカープファンだったのかぁと思っていたのですが、何のことはない、彼はただのアンチ巨人さんで巨人さんが負ければそれで幸せ、巨人さん以外のチームが優勝したら嬉しい。

しかも、おふくろさまは後に聞いた話だとヤクルトスワローズファンだったらしいです。
まあこういったよくワカラン経緯により、我が家にカープファンが誕生してしまったのでした。

そういえば思い出した、高校生の時に「僕、日ハムファンです」って言ったF崎くんは衝撃的だったな。そんな少年は早速親父さまに赤い帽子をおねだりします(笑)。“C”の文字が大きく入った赤い帽子を買ってもらいご満悦の僕。

なぜか弟は青い西武ライオンズさんの帽子を買ってもらい、親父さまは更になぜか近鉄バッファローズの帽子を買って親子三人でそれぞれ違うチームの野球帽を被るという、一体感があるのかないのかよぉワカラン父と子供たちでしたよ。毎日学校にカープの帽子を被って通っていたのを覚えています。うん、かわいい(笑)。

ああ、ちょっとカープ愛が溢れ過ぎちゃったな。そんなカープ大好き、打倒巨人さん!な僕でも“ミスタープロ野球”と言えば長嶋茂雄さんなんです。

正直に言いますと晩年のプレイはほとんど記憶になく、覚えているのはあの有名な引退式…「我が巨人軍は永久に不滅です!」の、あれは後楽園球場だったかなぁ確か、あの姿はよく覚えていますよ。

と言いますか、今でこそ球団の功労者や、長年プロ野球界に多大な功績を残した選手には大々的なセレモニーが用意されたりしますが、当時は長嶋さん以前にそういう選手って記憶にないですね。

ああそっか、テレビで放送される分しか見れないからそうなるのかな?球場に行ける環境だと珍しくはなかったのでしょうかね。

しかも当時はまだ小さいので夜は9時には布団に入ってなければならない我が家ルールがあり、8時30分過ぎた辺りから歯磨きしろだの、はよ寝ろだの言われていましたので、ここでは全く関係ありませんがドリフ大爆笑で「もしものコーナー」を観たいのに観れないもどかしさが今でも忘れられない。

いやいやドリフはどうでもいいんですよ、どうでもよくないけどどうでもいいんです。つまり9時には寝なきゃいけないので夜中にプロ野球ニュースとか観れないですから、誰々の引退式がありましたぁとか放送してても観れないワケですよね。

いやぁ~でもあってたんかな?少なくともあんなに華々しいと言いますか、大々的な引退式ってなかったんじゃないかな?長嶋茂雄さんにだけ許されたセレモニーだったんじゃなかろうかと推察します。

のちに読売ジャイアンツさんの監督に就任され、確か背番号が90とかじゃなかったかな?僕にとっての当時のヒーローは間違いなく“ミスター赤ヘル”と呼ばれた山本浩二さんだったのですが、浩二さんの背番号8、衣笠さんの背番号3と長嶋さんの背番号3、そして王さんの背番号1は頭に焼き付いていましたね。

高橋慶彦さんも間違いなく当時の僕のヒーローの一人だったのですが背番号とかすぐ出てきません…慶彦さんすみません、YouTubeたまに観てますので許して下さい。

まあそれぐらい長嶋さんの3は脳に焼き付いていましたし、監督さんの背番号なんかで話題になった人は長嶋さんぐらいしか思い当たりませんでしたよ。

何をやってもメディアが話題に上げ、ちょっと天然…いやちょっとじゃないな、かなり天然な言動をされても、全てが画になると言うか、世間の耳目をさらう偉大な存在であることはかなり幼い頃から認識していたように思います。

平たく言うと、プロ野球の世界で長嶋茂雄さんだけは特別だと、世間がそうであったように、幼かった僕も認めざるを得ない方だったのだと思います。

正に“スーパースター”。野球に限らずあらゆるジャンルにおいてこの言葉を用いて違和感のない方は、後にも先にも長嶋茂雄さんだけじゃないかと。

強いて言えば、亡くなられた石原裕次郎さんがそうだったように思いますし、少し見方を変えると松田聖子さんがそういう方かもしれません。

ちょっと語弊があるやもしれませんがプロ野球界のカリスマ、プロ野球教の教祖的ないつも光輝くお方だったように思います。

僕のヒーローである浩二さんや衣笠さん、あるいはその後に続いた落合さんや清原さんなどのスターとは一線を画すお人だったような気がします。

王さんともまた違う強烈な存在感を持つ方でしたよね。まあ、控室に差し入れられたスイカの三角のてっぺんの部分だけ食べて去っていったとか、そういう鬼畜な天然さも、長嶋さんであればさもありなんと目くじらを立てずに笑っていられる。

いつだったか日本シリーズ前のインタビューで「魚へんに青と書いて鯖ですか…」とかおっしゃられた時は、思わず吹き出してしまいましたが、それもまたスーパースターだけに許された言だったのだと今となっては良い想い出ですね。

面白エピソードを挙げると枚挙に暇がないほどいろいろ語られている方ですが、誰かを明るくする力を持っていらっしゃる方だなぁと尊敬の念を抱かずにはいられません。ご家族の皆さんは大変だったかもしれませんが、不世出のエンターテイナーとして永遠に語られるお人でしょう。今日の日本プロ野球の隆盛は、長嶋茂雄さん抜きにはなかったのではないかな、いちプロ野球ファンとして長年のご尽力に心より感謝致します、ありがとうございました。

ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
いつかは来る日であると分かってはいたつもりですが、実際にその日が来ると悲しいですね。

それでは今回はこの辺で。申し訳ありませんがお題がお題ですので、今週はこのメシが美味かったぜいぇ~いはやめておきます。